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宇宙船サジタリウスSTAFF (敬称略)

原作制作企画プロデューサー監督音楽キャラクターデザイン
脚本演出作画監督美術監督撮影監督色指定作画OP・ED作画


原作:アンドレア・ロモリ
本職はイタリアの物理学者。原作漫画「アルトゥリ・モンディ」は趣味で描かれたとかそうで。
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制作:本橋浩一
日本アニメーションの社長さん。殆どの日本アニメーション制作のアニメで制作総指揮の立場にいる方。
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企画:佐藤昭司
アルプスの少女ハイジ(1974年)で制作デスクを担当。その後名作シリーズ等の多くの日本アニメーション作品で企画担当として参加されています。1981年にこの方がイタリア・ボローニャの絵本市で「アルトゥリ・モンディ」を発見したのがサジタリウス企画のきっかけになったそうです。
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プロデューサー:

宇都宮恭三(テレビ朝日)
逆転あばれはっちゃく(1985年)、土曜ワイド劇場といったドラマから、スーパー戦隊シリーズや世界忍者戦ジライヤ(1988年)、機動刑事ジバン(1989年)、特警ウィンスペクター(1990年)、特救指令ソルブレイン(1991年)、特捜エクシードラフト(1992年)等といった多くの特撮作品にテレビ朝日プロデューサーとして参加されています。


松土隆二(日本アニメーション)
アルプスの少女ハイジ(1974年)で制作主任を担当。その後フランダースの犬(1975年)母をたずねて三千里(1976年)ペリーヌ物語(1978年)、トム・ソーヤーの冒険(1980年)、ふしぎの島なフローネ(1981年)、わたしのアンネット(1983年)、牧場の少女のカトリ(1984年)等多くの日本アニメーション作品にプロデューサーとして参加されました。
サジタリウスの後、私のあしながおじさん(1990年)、風の中の少女金髪のジェニー(1992年)、大草原の小さな天使 ブッシュベイビー(1992年)等のプロデューサを担当後、 1993年に日本アニメーションを退社し、アニメプロダクション「ベガエンターテイメント」設立。
近年ではベガエンターテイメント制作アニメのプロデューサーのほか、劇場ドラえもん「おばあちゃんの思い出」(2000年)、「ザ☆ドラエモンズ ドキドキ機関車大爆走」(2000年)の製作担当もされています。
スターダストライブ(86年10月にサジタリウスの声優さん達で行われたライブイベント)での岡本麻弥さんへの突っ込みや、公認FC会誌「ペポ」上でのインタビュー記事での富野監督に対する発言等、なかなかざっくばらんでユニークな方のようです。
大草原の小さな天使 ブッシュベイビーにてヒロインのジャッキーとブッシュベイビーのみキャラクターデザインが加藤裕美さんなのはこの方の抜擢によるものだそうで、一色氏の脚本起用といいなかなか先見性のある方ではないでしょうか。
ちなみにサジタリウス挿入歌「愛が心にこだまする」の作詞はこの方。
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監督(チーフディレクター):横田和義
名犬ジョリィ(1981年)で演出を担当。サジタリウスの他の主な監督作品として、ミームいろいろ夢の旅(1983年)、私のあしながおじさん(1990年)、チエちゃん奮闘記(1991年)、コスモウォーリア零(2001年)等があります。
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音楽:美野春樹
東京芸術大学作曲家卒業後、作曲を長谷川良夫氏に、管弦楽法を矢代秋雄氏に師事し、JR東海等の多くのCM楽曲などを担当。ジャズ、クラシック奏者としても活動されています。
アニメ作品ではサジタリウスのほかに魔法使いサリー(1991年)の音楽を担当されました。
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総作画監督・キャラクターデザイン:

坂巻貞彦
32話(珍獣ダイム編)までの総作監・メインキャラクターデザイン・レイアウト設定を担当。DVDのジャケットはすべてこの方の書き下ろしイラストになっています。
スケジュールのきつさ等で、ザザー星編終了後に作画スタッフから降板され、この後サジタリウスの作画スタッフがかなり入れ替わってしまったとか。
新ルパン三世(1977〜80年)で原画、ペリーヌ物語(1978年)、トム・ソーヤーの冒険(1980年)でレイアウトを担当、ミームいろいろ夢の旅(1984年)でキャラデザイン担当後引き続きサジタリウスに参加。
その後は、AKIRA(1988年)、ナースエンジェルりりかSOS(1995年)等で原画、X−エックス−(2002年)でレイアウト、キテレツ大百科(1993〜94年ごろ参加)、メタルファイター・ MIKU(1994年)、今日からマ王!(2004年)、格闘美神 武龍(2005年)、牙(2006年)といった作品で作画監督、ジャングルブック少年モーグリ(1989年)でキャラクターデザイン・作画監督、銀河鉄道物語(2003年)で作画監督・レイアウト・ゲストキャラデザイン等現在でも多くのアニメ作品で活躍されています

未来少年コナンII(1999年)では、キャラクターデザインのほか原案も担当。

キャラクターデザイン:

関修一
坂巻氏がサジタリウスを離れた後、オルロッグ人編、物質Z編、新婚旅行編、シビップ身売り編、カニロボット編でキャラクターデザインを担当。
忍風カムイ外伝(1969年)でキャラクターデザインデビュー後、小さなバイキングビッケ(1974年)、ペリーヌ物語(1978年)、トム・ソーヤーの冒険(1980年)、 名犬ジョリィ(1981年)、ワンワン三銃士(1981年)、ふしぎの島なフローネ(1981年)、南の虹のルーシー(1982年)、ミームいろいろ夢の旅(1983年)、ボスコアドベンチャー(1986年)、私のあしながおじさん(1990年)、おちゃめなふたご クレア学院物語(1991年)、わたしとわたし ふたりのロッテ(1991年)、ふぉうちゅんドッグす(2002年)等、数多くの作品でキャラクターデザインを出掛けている方です。名作劇場シリーズファンの方にはお馴染みの方。
近年ではワンワンセレプーそれゆけ!徹之進(2006年)で、動物キャラのみキャラクターデザインを担当されています。


高野登
ブリル星の宝編、怪鳥パラドン編、宇宙カコ編、カリン登場編、シビップ身売り編、怪物デルダン編、宇宙カコ編、カリン登場編、怪物デルダン編、国境の壁編、アンドロメダの雫編、ハイジャック編、便利舎解散編でキャラクターデザインを担当。
アルプスの少女ハイジ(1974年)、フランダースの犬(1975年)、赤毛のアン(1979年)、風の谷のナウシカ(1984年)等で原画参加、トム・ソーヤーの冒険(1980年)、忍者ハットリ君(1985〜86年ごろ参加)では作画監督を担当されました。
サジタリウス後は若草物語ナンとジョー先生(1993年)で作画監督のほか、火垂るの墓(1988年)、千と千尋の神隠し(2001年)といったジブリ映画に原画として参加されています。
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脚本

一色伸幸
松竹大船撮影所で助監督、プロットライターを務めた後、ミームいろいろ夢の旅(1985年)で単独名義での脚本デビュー(連名では火曜サスペンス劇場松本清張の脊梁(1982年)に脚本参加)後、引き続きサジタリウスの脚本に参加。初期の脚本を手掛け、サジタリウスの方向性を決定付けた方です。
メインキャラ3人は、それぞれ20代、30代、40代の自分をイメージして書いたとのことで、この方がいなければサジタリウスは全く違う作品になったのでは、と思われます。
1998年になされたファンサイトの掲示板でのご本人の書き込みによると、子供向けな番組作りを要求するテレビ朝日側と脚本の内容で対立し、4話で嫌嫌ながら赤ちゃん怪獣を出したり、13話終了後サジタリウスを一時期降板させられたこともあったようです(その間に急遽藤本氏が脚本を担当しスイード編が書かれた為、当初1クールの予定だったザザー星編は7話に圧縮された)。
サジタリウスの後、ホイチョイプロの私をスキーに連れてって(1987年)、彼女が水着にきがえたら(1989年)等の脚本で一躍売れっ子となり、病院へ行こう(1990年)、七人のおたく cult seven(1992年)、卒業旅行 ニホンから来ました(1993年)、お受験(1999年)等の劇場作品、彼女が死んじゃった。(2004年)、おとなの夏休み(2005年)等のドラマ作品を手がけ、現在も有名脚本家として活躍なさっています。
因みに僕らはみんな生きている(1993年)は、一色氏曰く実写版サジタリウスのつもりで書いたとの事。
担当エピソード:ベガ第3星編・ザザー星編・ブリル星の宝編


藤本信行
サジタリウスでは2クール目からの参加。一色伸幸氏が脚本から離れた後はメインでサジタリウスの脚本を担当されました。サジタリウスの小説版はこの方の著作。
この方が一色氏の路線を引き継いでくれたおかげでその後のサジタリウスが大きく路線変更することなく続いていけた気がします。後半は3話ローテーションによる月代わり新シリーズに苦労されていた印象がありますがどうたったんでしょうか。
テレビの助監督を経て、青島幸男の意地悪ばあさんで脚本デビュー。フジテレビ系列の月曜ドラマランドをいくつか担当された後、サジタリウスやボスコアドベンチャー(1986年)に参加。
その後はいきなりダゴン(1988年)、ジャングルブック少年モーグリ(1989年)、私のあしながおじさん(1990年)、風の中の少女金髪のジェニー(1992年)、ヤマトタケル(1994年)、グランダー武蔵(1997年)、グランダー武蔵RV(1998年)、神風怪盗ジャンヌ(1999年)、大山版ドラえもん(1999年〜)、伝心 まもって守護月天!(2000年)、コスモウォーリアー零(2001年)、ふぉうちゅんドッグす(2002年)等の脚本を担当(グランダー武蔵・RVでは原作も担当)。のび太の結婚前夜(1999年)、おばあちゃんの思い出(2000年)、がんばれ!ジャイアン!!(2001年)、ぼくの生まれた日(2002年)と劇場版ドラえもん併映短編映画も担当され、大山版ドラえもん終盤を代表する脚本家に。
2006年5月には電子図書でオリジナルSF作品世紀末童話集を発表されています。
担当エピソード:最終兵器スイード編・珍獣ダイム編・オルロッグ人編・宇宙カコ編・シビップ身売り編・怪物デルダン編・アンドロメダの雫編・便利舎解散編

久樹晴美
物質Z編のみの担当。個人的には37話にジラフがたばこを吸うシーンが「それは違うやろー」って感じです(笑)。
担当エピソード:物質Z編

城谷亜代
女教師は二度犯される(1983年)、色ざんげ (1983年)、高校教師 失神!(1985年)と日活映画の脚本に参加、フジテレビ系列の月曜ドラマランドで時をかける少女(1985年)の脚本を手掛けられた後、藤本信行氏の紹介で44話よりサジタリウスに参加。当時アニメージュのインタビューに「ジラフは勝手に動いてくれるので書きやすい」とおっしゃっておられました。
現在はどこかの学校で講師をなさってるとか聞いたんですが、正確なところは不明。
担当エピソード:新婚旅行編・カリン登場編・ハイジャック編

古長直美
伊藤忠商事のOLとして会社勤務の傍らシナリオセンターに通い、シナリオライターデビュー。
サジタリウスの脚本を書かれた当時は、会社から帰宅後シナリオを書くといった生活をなさってたそうです。いずれはシナリオライター1本でやりたいとおっしゃってたそうですが、今はどうなさってるんでしょうか?
担当エピソード:怪鳥パラドン編・国境の壁編

松下幹夫
サジタリウスはカニロボット編3話のみ。この方の書かれた回は、サジタリウス後期の中では個人的に結構お気に入りだったのでだったので、もっと書いて欲しかったんですが。
他の脚本作品としては、科学忍者隊ガッチャマン(1973年)、忍者キャプター(1976年)、東映版スパイダーマン(1978年)、太陽戦隊サンバルカン(1981年)、宇宙刑事ギャバン(1982年)、OVAバイオレンスジャックハーレムボンバー編(1986年)、ああ播磨灘(1992年)、おーい!竜馬(1997年)等のほか、ドラえもん(1980年)、パーマン(1983年)、オバケのQ太郎(1985年)ウルトラB(1989年)などといった藤子アニメの脚本も書かれていたようです。
担当エピソード:カニロボット編

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演出・絵コンテ:

横田和義


佐藤博暉
当時のアニメージュによると、サジタリウス放送当時は27歳。東京デザイナー学園卒業後、忍者ハットリ君で動画、じゃりン子チエの演出助手を経て、スプーンおばさん(1983年)、パーマン(1983年)、ミームいろいろ夢の旅(1983年)等の演出を手掛け、サジタリウスに参加されました。
サジタリウス後はAKIRA(1988年)で助監督を担当。OVA KEY THE METAL IDOL(199
4年)で原作・監督・脚本、吉宗(2006年)で監督・脚本を手がけるなど、監督・脚本家としても活躍なさっているようです。
ちなみにこの方はホームページを持ってらっしゃいます。


鈴木孝義・斎藤次郎・早川啓二・小金井良一・大町繁・花井信也
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作画監督:

菅原浩喜
サジタリウス初期のメイン作画監督の一人。26話「最終兵器に勝った武器」のBパートを最後にサジタリウス作監からは外れてしまわれたようですが、その最後の作画は個人的には全77話中でもトップクラスだと思います。


高橋昇
菅原氏と同様初期の作画監督の一人。当初は菅原氏と持ち回りで作監を担当されていました。
37話「焼却炉に捨てられた謎の物質Z」のBパートを最後に作画監督から外れられたようですが、菅原氏とは対照的に最後の方は作画レベルは若干落ちていたような気も。

小和田良博
10話「子供にはわからない親の気持ち」のみの担当。作画は結構ばらつきが有りますが、まあ初期の高橋氏に近い感じで初期の頃ではそれほど悪く無かったように思います。
朝倉隆
13話「まさか!シビップの歌のヒミツ」Aパートより作画監督を担当。
この方が担当されるのは常にその回の半分のパートだけなので、他の作画監督の助っ人的に作監されていたんでしょうか?そのせいかサジタリウスに限って言えば作画はあまり良いとは言えません。他の作監と絵柄があまりに違いすぎるので、キャラが別物になってます。でも、石川哲也氏・武内啓氏とならんで中期以降の代表的な作画監督…。
サジタリウス以外では新ルパン3世やおやゆび姫等で作画監督されていたようです。宝島社から刊行されたルパン三世のムックに掲載されたインタビュー記事によると、一時期アニメータを辞めて役者として活動してたそうです。

石川哲也
サジタリウスでの初作監は15話「逃げたらあかん!魔王のワナだ」Aパート。菅原氏が外れられた後のサジタリウスのメイン作画監督の一人です。
アニメージュの特集や小学館のサジタリウスムック本で写真付きで登場(笑。
イース1のOVAキャラデザイン等を担当。近年ではプレイステーションソフト「Zガンダム」のアニメーションパートの作画に参加されていました。

飯村一夫
22話「えっ!ジラフとルルは傘マーク」のみの担当。絵の線が全体的に太くて、キャラも全体的に丸っこくてちんちくりんな感じ。作画はイマイチだったように思います。

小泉謙三
25話「銃声に消えた幻のトランペット」のみの担当。
ルルの顔がかわいくないです(笑)。ジラフの顔がちょっと寸足らずなのが飯村氏と似てます(でもまぁ、最初の坂巻氏デザインのジラフを見ると元々はあんな長い顔してないので、ホントはそれが正解なのかもしれないけど)。
ちなみにこの方は当時ボスコアドベンチャーの作監をやってらした方のようです。この頃のサジタリウスの作画スケジュールはかなりきつかったそうなので、ボスコ班からの助っ人作監だったのでしょうか?

武内啓
サジタリウス初作監は33話「死の惑星のすすり泣くオルガン」。石川氏と並ぶサジタリウス中期以降のメイン作画監督です。どっちかというとスマートな感じの絵柄の石川氏に比べて、ぽわっとふっくらした感じの絵を描く方です。僕はどっちかというとこっちの方が好みかなぁ。
サジタリウスの後、絶対無敵ライジンオーのキャラクターデザインで有名になり、パプワ君のアニメ版のキャラデザもされていました。

石之博和
41話「えっ!海賊の正体はマルク社長」より作画監督を担当。
絵柄は石川氏の絵柄に若干似ていたように思いますが(似せようとしていた?)、始めの頃の作画は線がヘロヘロな感じであまり良くなかったです。最後の方はだんだん上手くなってきていましたが。
ただ、この方が作監された回は、何故かアン教授の服の色が本来紫のところが青紫だったりと、必ず色指定が変だったのですが、どういう訳なんでしょう?

高野登
43話「黄金伝説の以外の意外な秘密」Aパートのみ作画監督を担当。坂巻氏が離れられた後の総作画監督も担当。
サジタリウスで総作画監督された方が直接作画監督されたのは後にも先にもこれだけなので珍しいです。
で、その作画ですが、アン教授はまずまずかな(笑)。他のメインキャラは正面向いたときの顔がちょっとイマイチです。ジラフの顔はちょっと細すぎだし。

小川隆雄
57話「お願い!!シビップ買ってください」がサジタリウス初作監。この方も小泉氏と同じくボスコアドベンチャーの作画監督をされていた方です。よくみると確かに作画にボスコキャラの面影があるような…。
当時アニメージュの松土プロデューサーのコメントによると「ボスコ終了に伴う編入組3人」とあるんですが、はたして?

石井修一
73話「生きぬけ!がんばれ!カメの赤ちゃん」Aパートのみの担当。石川氏の作画に似ていますが、トッピーの真正面顔とかちょっと違う感じ。作画にばらつきがある上、黒目がちょっと大きすぎです。
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美術監督:

阿部泰三郎・千葉みどり・佐藤信・藤田勉・松宮正純・山口俊和・河野次郎・佐藤正浩
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撮影監督:森田俊昭↑上へ戻る

録音監督:藤野貞義↑上へ戻る

色指定・検査宇野薫
サジタリウスでは、非人間キャラだけに肌の色から決めなけれはいけないとか、トッピー達の服が赤なのでゲストキャラには暖色系の色が使いにくいとか、苦労されていたようです。
小学館から出版されていたサジタリウス本のインタビュー記事によると、サジタリウスで好きなキャラは「タルト・クローン草・ケポック人・大きくなったダイム」、もし新宇宙便利舎に仕事を依頼するとしたら「スケジュール調整と会社の爆破」だとか(笑)。
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原画・動画:

スタジオ・トト・スタジオ・九魔・スタジオアトン・アトリエふくろう・アートランド・スタジオメイツ・サムタック・OHプロ・動画工房・スタジオ・絵夢


グループどんぐり・ジャングルジム 他↑上へ戻る

OP・ED作画北原プロ↑上へ戻る


−OP主題歌 「スターダストボーイズ」・ED主題歌「夢光年」−
作詞:阿久悠
作曲:鈴木キサブロー
唄:影山ヒロノブ(日本コロムビア)

参考文献:
宇宙船サジタリウス「歌と音楽集」添付解説書
THIS IS ANIMATION ザ☆セレクト(13) 宇宙船サジタリウス(小学館発行)
放送当時のアニメージュの切り抜き記事

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